
cortisパーソナルトレーニングジム代表
こんにちは!cortisパーソナルトレーニングジム代表のヒハラです。(@hihara.trainer)
本日は知り合いの方に執筆いただいたものを掲載させて頂きます。
二型糖尿病の実体験について、リアルな体験談を書いていただきました。
1人にでも多く届けたいと思っております。
匿名ですが、その方のリアルな体験を思うままに執筆いただいたのち、一切の改変をしておりません。
はじめに。
これはあくまで個人の実体験を、時系列的にまとめたもので 誰もが当てはまるものでもありません。
一口に糖尿病と言っても、先天的なⅠ型、俗に生活習慣病とも言われるⅡ型とあり 自分の場合はⅡ型になります。
糖尿病はまたの名前を「サイレント・キラー」と言われます。
今回その意味を身を持って知ったと言うことで。
1.無自覚ながらも予兆はあった。
これは本当に無自覚だったのですが、まず「おかしいな?」と思ったのが 左足の指が動かなくなったこと。
「なんで?」とは思いましたが、当時仕事が多忙すぎて不安ながらも放置してしまいました。
まさか、自分が糖尿病に罹っているなんて、夢にも思っていなかったのです。
次に異変が起きたのが「勃起不全」。
所謂 ED と言われる症状ですが これに対しても、「最近忙しすぎる性なのかな?」なんて、考えているぐらいでした。
今考えればこの時に、体の異常に気付き然るべき診察を受けていれば。
2.忙しさにかまけてサボった診察
この頃会社の集団検診があり、診断で医師から「血糖値が少し高いね」と言われて 「多分休みもなく働いているので過労ですかね?」と聞き返したところ
診察した医師からは「多分そうだろう、一応再検査の紙を出しておくからね」と 再検査の日にちと、受診医療機関の名前の入った用紙を渡されました。
しかし、やはりその時間を捻出することが難しく、結果的に再検査をしないまま
月日は過ぎていってしまったのでした。
3.足の親指の異変
ある日、仕事が終わって家に帰り、シャワーを浴びてリビングでテレビを見ながら
何気なく足を見ると、左足の親指に小さな血豆のような物ができていました。
不思議だったのは、、豆が出来るぐらいなのに、全く痛みがなかったことです。
この時はすでに指が動かないことは解っていたので、「痛みもないのか?」と
半分不安に、ただ痛みには弱い性格だったので、痛みを感じないことに
ホッとしている自分もいました。
4.治らない傷
先に書いた血豆ですが、薬を塗っても絆創膏を巻いて保護しても 全く治る気配がありませんでした。
それでも、「もういい歳だし、治りが遅いんだろうな」くらいに考えて
薬を塗っておけばいつかは治るだろうと、そのままにしてしまいました。
でも事はそんなに単純な話ではなかったのです。
5.悪化する傷
塗り薬を塗り続けて一週間ほど過ぎた辺りで、傷が改善するどころか
傷口から悪臭と言うか、異臭がするようになりました。
「なんで治らないんだろう?」と思いながらも、自分での治療を続けていると
指先が真っ赤に腫れてきて、次に赤黒くなってしまいました。
それでも、全く知識もない自分は「まぁ薬でなんとかなるだろう」と
病院にも行かず、まだまだ楽観的に考えていました。
6.原因不明の悪寒と食欲不振
傷を負ってから 2 週間くらい経つと、今度は原因の解らない悪寒を覚えるようになり
食事もほとんど喉を通らなくなってしまいました。
実はこの時は一人暮らしで、自炊が面倒と感じる時はスーパーの惣菜か
デリバリーで済ませるときも多かったので、「栄養の偏りかな?」と思い
無理矢理にでも体を動かし、自炊に切り替えました。
しかし、日が経つにつれ米もパンも麺類でさえも食べられず
果物ですら食べては吐き戻すという、普通では考えられない状態になっていました。
そして、シャワーを浴びようものなら物凄い寒気が全身を襲い
初夏の湯上がりなのに、毛布にくるまってガタガタ震えてる有様でした。
7.両親に連れられ病院に
しばらく連絡のない自分のことを心配した母親が、アパートの部屋に入った瞬間
異常に気付いたそうです。なんとも言えない、表現のしようの無い悪臭と
虚ろな目で布団の中にいる息子、普通ではないと察した母親はすぐに父親に連絡し
地域の総合病院に自分を連れて行くことになりました。
8.そして強制入院
歩くのもやっとな自分を、なんとか診療科に連れていき待合席に座らせると
やはり普通ではない自分に気付いた看護師さんが、少しだけ優先的に診察の順番を繰り上げて
息も絶え絶えのまま診察台に。
医師が「どこが辛いの?」という問いかけをしたのに対して
黙ったまま足先を指差す自分。随分失礼な行為ですが、この時はこれが精一杯でした。
そして、足を見るなり「今日はもう帰れないかな、このまま入院してもらうよ」と
担当医の一言です。それを聞いて泡を食った父親は、母親に着替えを持って 急いで病院に来るようにと電話、「このまま入院になるらしい」と伝えてたらしいです。
自分はその間に採血や心電図、MRI に CT とレントゲン検査と
ストレッチャーに横たわったままで、周囲から「なにがあったんだ?」と思われながら
検査室のハシゴ状態でした。
9.検査結果と病名宣告
実は宣告は自分より先に、両親に対してありました。
当然検査途中でもある程度の病名や、体の状態の見当はついていたようで
それは両親を驚かせるには十分な内容だったようです。
病名は「糖尿病」。
しかし傷を放置したことにより、その部分から細菌が入り込み壊死し
足部を残すことはほぼ絶望的で、下腿部から切り落とすことが最善の策であると説明があったようです。
しかも現状での切断術は命の保証ができず
一定期間抗生物質を点滴にて投与し、ある程度数値が落ち着いた頃に行うというもの。
更にあと一週間来るのが遅かったら、切断云々の前にそもそも命の保証ができなかったとも言われたようです。
当然自分にもそっくりそのまま伝えられました。
その頃は点滴を繋がれ母親が選択した個室のベッドに寝てましたが。
10.個室という空間
これは後々母親の気遣いに感謝することになるんですが、正直個室に居てもテレビくらいしか
見るものがないので、巡回に来た看護師さんや挨拶に来た看護師さんを捕まえて
ちょっとした世間話をするのが楽しみでした。
やっぱり不安だったんだと思います。
予想の斜め上を行く病名に、下腿部の切断という悪夢のような宣告。
喋ってないと気分が落ち込んで、どうしようもなかった記憶がありますね
ほんの数週間前までは走り回って仕事してたのに、あと数日で足が無くなるという現実。
昼間は元気なふりして、夜は切断予定の足を見ながら、黙ってその足を擦ってました。
その意味でも、個室という選択肢は間違ってなかったのかも。
11.天使のような悪魔?
看護師さんの事です。
天使なのは間違いなかったですね、とにかく弱っている時に痛いのは何処か、辛いのは何処かと聞いて対処してくれて、言葉もかけてくれる。
こんな有り難い存在は天使というか、神様かと思うほどです。(女神様かも)
なんで悪魔と書くかといえば、これは完全に自分の行動が原因なんですが
入院二日目か三日目にどうしても、院内コンビニに行きたくなって
行くのは良いんですが、看護師さんに都度きちんと行き先を伝えないといけないのに
黙ってコンビニに行ったところ、行方不明の入院患者とされてまさかの全館放送呼び出し。
慌てて病棟に戻るも、その日の担当看護師さんは完全にプッツンで大激怒!
その後リハビリ転院するまで口を利くことはなかったです…本当に申し訳ない…
12.切断前夜
そうこうする内に、いよいよ明日手術です!という事になり、飲水以外厳禁のプレートが置かれ
看護師さんも普段より慌ただしく対応に追われていました。
そんな中でも、入院初日に担当だった看護師さんが、ローテーションの関係で夜勤担当で居て
色々気を使ってくれてました。
「いよいよ明日だね、大丈夫?怖くない??」
内心そりゃー怖いし嫌だよ…と思いつつ、ソコは悲しい男の性で「平気平気!」と
意味のない空元気全開で強がってました、そんなもん見る側にしてみれば丸わかりなのに。
深夜、看護師さんの巡回が途切れる頃、一本外に向けて電話をかける
当時付き合い始めだった彼女に向けてです。
当然障害者になる自分を、好き好んで付き合うような人間はいないと思っていたので
嫌なら別れてくれても良い、別に恨みも怒りもしない好きにして欲しいと伝えました。
しかし彼女からの返事は「足が無くなったからって人が変わるわけじゃない、待ってるよ」と
人生初の男泣きでしたね。情けないけど…
13.さぁ覚悟は決まった
手術当日の朝、手術自体は昼頃からなので朝9時までは水だけなら飲んでもいいよ
ということで、喉が渇きを覚えない程度にチビチビと水分補給
その間にも準備の為点滴の中断や、手術衣への着替えや術前の注意事項などを聞きながら
気持ちを落ち着かせて備えます。
両親は切断後の足を預かるため、保冷剤を持って来て病棟ラウンジで待機
※この病院では切断部位は家族が持ち帰り、施設で火葬して貰うことになってました。
そして時間が来て、手術室担当の看護師さんと病棟の看護師さんがベッドごと移動を始め
入院している患者さんたちは、ベッドが動く=手術と解っているので道を開けます。
ラウンジを通り抜ける時、看護師さんが両親に「これから手術室に向かいます」と伝え
待っていた両親が後に続きます。
そして手術室前に来ると「ご両親はここまでで」とストップがかかり
その先は手術室担当の看護師さんが押します
最後に手術部位の確認が行われ、間違いがないと確認されるといよいよ。
14.まな板の上の鯉?
実は切断術と言っても、今回は全身麻酔ではなく脊柱管麻酔で、腰椎の部分から麻酔をかけて
腰から下の下半身を麻痺させます。
つまり感覚もうっすらあり、痛みこそ無いけどカーテン越しに何をしてるか想像も出来る
術中の皆さんの会話もバッチリ聞こえるという、中々エキサイティングな状態。
それより何より、手術台に乗る時に、まさかの裸になれとの指示…えっ?
「術衣もパンツも脱いでください」と看護師さん。
それは流石に恥ずかしいんだけど…脱がなきゃだめだよね…
まぁ、恥ずかしいと思っているのは自分だけで、他の人達は見慣れた光景ですもんね。
違う意味で呼吸が止まりそうになる自分を尻目に、着々と手順は進んでいきます。
15.あっ!切り落とされたよね!!
術中の時間経過は、全くといっていい程に解らないんですが
麻酔が効き始めた事を確認すると、麻酔科の担当医が体の管理を始めるのが解ります
呼吸は正常か心拍数に変化はないか等、時々自分に声を掛けながら
今何をしているのかを、ザックリとながらも教えてくれます。
肉の焼ける匂いや、何かが足の中を動いてる感覚はあり「あ、今切ってるんだな」とか
足の角度が変わったなとか感じながら、頭の上にあるモニターとにらめっこ。
しばらくすると、「これから足を切り落とすからね」と一言声をかけられ
電気ノコギリが唸りを上げます。
切っている時の音は材木を切っているときと同じ音がしていると思っていただければよろしいかと思います。
慎重に切っていくと、「カクンッ」と言った感覚があった後、少しだけ足が軽くなって
「あっ今切り落とされたんだな」と解りました。
流石に「これだよ」と実物を見せられるような事はありませんでしたが
カーテンの向こう側で、「これをダンボールに移して、保冷剤預かってるよね?」
と話している声が聞こえるので、あとは縫合して終わりかな?と考えていると
担当医から「もう少しで終わるからね」と一言。
そうか…足が無くなったのか…思いの外ホッとしたような感覚があったのを覚えています。
16.痛いなんてもんじゃない!
すべての処置が終わり、一旦前室といわれる所で経過観察がなされ
異常無しとなると病室へ帰ることになります。
病棟に戻りラウンジ前を通ると両親が待っており、母親から「頑張ったね」と
ねぎらいの言葉と、父親からの「頑張ったのは医者だろ」という
この場ではどうでもいいツッコミが入り、苦笑いの看護師さんがいるという
なんとも寒々しい場が出来上がりました。
病室に戻ると再度点滴が始まり、カテーテルが入ってるという
文字通りの重症患者の様相、本人はまだまだ麻酔が効いており、動くことは出来ないので
まさかのオムツまで履くことに。
看護師さんの「これから麻酔が切れてくると痛くなるから早めに言ってね」という言葉も
まぁ死ぬほど痛くなるなんて事は無いだろうと楽観的な考えの自分が居ます。
…しかし…実際麻酔が切れて来て感覚が戻ると次第に、「一体何だこれは!?」という
激痛という表現ですら、軽く感じてしまうくらいの、痛みが襲いかかってきました。
もぅ必死でナースコールのボタンを連打し、痛み止めの座薬を入れてもらい
「我慢し過ぎだよ」という有り難いような、有り難くないようなお言葉を看護師さんから頂いて、
脂汗をかきながら一晩を過ごすという悪夢のような時間をでした。
まぁ、朝方には痛み止めも聞いてきてなんとか寝ることは出来ましたが。
17.リハビリ開始
術後中一日おいて、回診がありまして。
担当医から「もう縫合線のところにあるドレンチューブ抜いておくね」との事
切断した断端部に、出血した血が溜まらないように、チューブを入れてたのですが
思いの外出血が少ないのと、この先も出血が増えることは考えられないということでした。
これでトイレにも自由に行けるし、病室の外にも出られる!
導尿カテーテルも同時に外れたので、嬉しくて仕方ないのです。
相変わらず痛み止めは必要でしたが、のたうち回るほどではなく我慢はできるレベル
車椅子への移乗も術前から練習しておいたので、至ってスムーズに出来ます。
早速車椅子に乗り、病室の外に漕ぎ出して気分転換です。
足は無くなったけど、逆にスッキリして通路の手すりに掴まってスクワットしたり
片足立ちの練習したり、それを見つかって看護師さんに無茶するなと怒られたりしました。
自分なりのリハビリだったのですが…
18.理学療法士によるリハビリ
…と言っても自己流で行ってたリハビリと変わりませんでした。
片足で立ってバランスを取る練習、中腰で足の筋力を戻す練習、車椅子への移乗の確認
うまく移乗が出来ていれば、行動の自由度が広がるわけで
これだけはかなり真剣に取り組んでました(だって外の空気吸いたかったから)
そしてリハビリを初めて大体一週間で、退院になるということも聞かされました。
自分の場合義足を作ることになってたので、退院ではなく転院ですが
それでも嬉しかったのを覚えています…同時にちょっと寂しくもありましたが。
19.抜糸そして転院
リハビリを始めて一週間、その時はやってきました。
術後の経過を見てきた担当医から、「明日抜糸しよう」と言われ
「その後 3 日ほど様子を見て、リハビリを兼ねて転院だね」との事。
ここまで入院から一ヶ月、仲良くなった看護師さんともお別れか…と思い
巡回に来た看護師さんに「お世話になりました、数日で転院になります」とご挨拶。
「そっかー!長かったねー!!」とか、「がんばってね」と励まされ
あっという間に退院当日、やはり入院初日に担当看護師だった人が日勤で居たので
「長かったけど、お世話になりました」と感謝の言葉を伝え、車椅子姿のまま
背中越しに手を降って「バイバイ」ってしておきました。
手間のかかる患者だったからなのか、看護師さんのホッとしたような顔がなんとも印象的でした。
あとがき。
これから転院して、地獄のリハビリへと移っていくのですが
今回はここまでとしておきたいと思います、長々と読んで頂きありがとうございました!!
あ〜…あの担当看護師さんには、機会があればもう一度会いたいなぁ。